〜三浦知良〜
       KING KAZU 語録
                      
                        

「ブラジルでプロ選手になって、いつかW杯に出たい」(高1/1982年地元静岡の新聞インタビューに答えて)


「僕の夢は日本をワールドカップに連れてゆくことです!!」


「1%あるんですね?じゃあ僕はその1%を信じます」 (高校の監督にブラジル留学を「人間100%はないが お前は99%無理だ」と言われ)


「ワールドカップ出場が決まったら、夢を達成したことにはなるけど、それは、到達点から 今度は通過点にしか思えなくなるでしょう。人生と同じで死ぬまでの間、通過点なんです。 今は果てしなく続く道の中にワールドカップがあって、それが、夢で、すべてだと思っているけど、 またそこで行ったら違ったものが見えてくるだろうな、って思う。」(88年ブジルにて)  


「日本代表をW杯に出場させるために帰ってきました」(1990年読売サッカークラブと契約し帰国した時の会見)


「それじゃ、見ててください。僕が日本を変えてみせます!」(帰国時日本にはプロが無いとネガティブな発言をする周囲の人間に対して)


「魂込めました、足に」(1993年アメリカW杯アジア地区最終予選VS韓国でゴールを決めて)


「人生そのもの」 (あなたにとってサッカーとは?と聞かれ)


「通用しないから行くんですよ」 (セリエA移籍の際各方面から通用しないと言われて)


「W杯に行くために(イタリアから)何かをつかんで帰って来たい」


「悲しみはいつか癒えていくのかもしれない。でも、傷って消えることは無いんです」(1997年フランスW杯アジア地区最終予選開始前、「ドーハの悲劇について今どう思いますか?」と質問され)


「成功した時にスポーツ紙の一面になるのは普通の選手。失敗した時にスポーツ紙の一面になる選手は限られている。一面で失敗を取り上げられ叩かれることに誇りを持てばいい」(1998年柔道の田亮子選手がイチロー選手との対談で「KAZUさんに言われたこの話を思い出すと心強くなる」と語った)


「……次の保証なんか、オレたちにはないんだ!」 (代表用具係りの人にユニフォームを次ぎ来た時渡すと言われ)


「日本代表としての誇り、魂みたいなものは向こう(フランス)に置いてきた」


「あっちに ご飯と納豆も玉子焼きもあるよ。」 (ホテルで偶然出合った日本人夫婦に話しかけられ。)


「ドイツでお会いしましょう」(2006年ドイツW杯への出場が決まった時に)


「おばちゃん、荷物持ってやるから速く乗りなよ」 (大荷物のせいででエスカレーターに乗れないご老人に。)


「サッカー以外の全ての面でもニックネーム(KING)に相応しくありたい」


「大好き神戸、ありがとう!!」(神戸退団の際)


「これで皆、オレが引退すると思っているのかな?サッカーは世界中でやっているんだぜ」(神戸在籍時の2005年7月に5戦続けてベンチを外れた時に)


「10年後か、まだまだ現役をやっていたいね」(KAZUが26歳頃に記者から「10年後はどうしたいですか」と聞かれた時の返答)


「勝ち負けに関係なくボールと仲良くなれ」(横浜市内の小学校で訪問授業を行った時に小学生に語った言葉)


「まだ死なねぇ」


「自分にとってプロとして必要とされるということが一番大事。自分を本気で必要としてくれて、プロとして条件を満たすのなら考える。」
(横浜FC入団を聞かれ)


「環境なんか関係ない。サッカーはボールとグラウンドがあればできるから」 (横浜FC入団時)


「メシおごるわ」(横浜FC28人の選手の食事代を全員分奢る)


「日本も世界なんですよ」(記者の「日本は世界を相手に戦えますか?」との質問に対して)


「…サッカーが好きなんですね」 (ビストロスマップ出演時にSMAP中居に「(ブラジル時代、W杯メンバー落ちで)よく腐らないですね?」と聞かれ)


「とっておきのネタがあるよ。新しいベッドが届いたんだ。キングじゃなくてクイーンサイズだけど(笑)」(ベッド購入をマスコミに聞かれ。)


「おう、サッカー少年、頑張ってるな!」サッカーって楽しいだろ?いつか同じピッチでサッカーやろうな!」 (道端のサッカー少年をコーチして。)


「いつだったかな、日本代表合宿でゴンちゃんと一緒にランニ ング したんだよ。別に競争でないんだよ。でもお互いにトッ プを譲らないんだ。 オマケに終わろうともしない。ずっと無 言で走り続けていたんだよ。 結局、誰かに止めてもらったん だけど、そうじゃなきゃ、倒れるまで走って いたね、きっと」


「ジーコ一度でいいから(代表に)呼んでくれねぇかな」


「60歳までサッカーを続ける」


「みんながまとまると強くなること…。超一流が集まって真剣にやった集中力は一つの芸術だと思う」(野球WBC優勝について)


「次は2010年目指して頑張ります」(2006年ドイツW杯のメンバー発表後)



「素直にうれしい。ひとつの形として結果を出せた。チームを立ち上げてここまで来た人は、本当にうれしかったと思う。その人たちに本当におめでとうと言いたい」(横浜FCJ2優勝&昇格決定の会見で)


「クラブというのは色んな波を乗り越えていくもの。みんなの思いのこもったチームだと思う。これからも苦しみ、きょうのような喜びもある」(同上)


「来年は40歳。楽しみですね、どんな40になるか」


                 KING KAZU と後輩

                           

    後輩とカズ〜その1(中村)
日本代表MF中村俊輔(26)が、横浜の実家に大事に保管している1枚の写真がある。

98年2月。当時、19歳だった中村は初めて日本代表の合宿(オーストラリア)に招集された。
日本が初めてW杯出場を決め、フランスに向けての選考合宿だった。
同じユニホームを着て練習しても、互いがライバル同士。
もし中村が生き残れば、予選を勝ち抜いた誰かが、選考から漏れることになる。
「食事会場でもみんな黙々とご飯を食べるだけで、静かで異様な雰囲気だった。
みんなピリピリしていて練習の合間にも冗談を言う人はいない。代表って怖いところだなと思った」。
慣れない環境にストレスはたまる一方だった。「みんなW杯出場に向けて必死なんだ」と自分に言い聞かせて納得するしかなかった。

サバイバル合宿中に救いの手を差し伸べた人がいた。

「緊張するなと言っても無理だろうけど、緊張しなくていいんだよ。自分の持っているものを普通に出せばいいからね」。

カズこと三浦知良だった。

時間にして5分程度。
ほかにも豊富な経験をもとに、いろんなアドバイスを受けたが、緊張のあまり全く耳に入らなかった。

「懐が深いというか、やはりキングだったね。今でもあの場面は鮮明に覚えているよ」。

後日、その光景を撮ったカメラマンから写真をプレゼントされた。
    練習終了後、汚れた練習着を着たまま、グラウンドに座って一生懸命カズの話を聞いている自分がいる。

    「元気がない時、スランプの時、ケガした時は実家に戻ってその写真を見て元気をもらっている。
いつ見ても新鮮だね」。

世界一と評されるセリエAでプレーし、日本代表の不動の司令塔の座に上り詰めようとする今も、
    その写真があるから初心に戻れる。 疲れた時は力を与えてくれるような気がする。



後輩とカズ〜その2(大黒)
新ストライカーにキングの力が乗り移った。

大黒が尊敬する選手は三浦知良(神戸)。
大黒の自宅の玄関にはカズのサイン入りスパイクが飾ってある。
震災後の新潟でのチャリティーゲームでカズと一緒した大黒は、試合後に思い切ってカズに声をかけた。

大黒:「靴を譲っていただけないでしょうか」
カズ:「ああ、いいよ。サインもしてあげよう」

大黒が代表入りの連絡を受けたのは、カズの靴を飾るための棚を買いに出かけようとした時だった。
98年フランスワールドカップアジア最終予選のウズベキスタン戦、日本代表のエースはカズだった。
93年のドーハの悲劇を知るカズはこの試合で4ゴール。6対3で勝利を呼び込んだ。
そのカズの活躍を今、大黒が継ぐ。

カズのコメント:大黒君が決めると思っていたよ。

    
    後輩とカズ〜その3(前園)
俺は代表合宿に参加するモリシとアキを激励しようと、選手達の到着を待ちわびていたんだ。
そうこうするうちに選手達を乗せたバスが駐車場に到着して、選手達がグラウンドへ向けて歩いてきたんだ。
そうこうするうちに、黒崎や前川なんかの今となっては地味な選手達(ファンの人、ゴメンねw)に混じって、
明らかにオーラが出てる選手が二人、こっちへ歩いてきたんだ。
それがカズと前園だった。二人で並んで歩いて来た。仲良かったんだろうな。
俺、ミーハーみたいに凄ぇって思ったよw
俺は目の前まで歩いて来たカズと前園に

「サイン頂けますか?」と訊ねたんだ。

するとカズはにっこり微笑んで

「もちろん」

と答えてくれた。 そうしたら前園は俺を無視してスタスタ歩いて行こうとしたんだ。
そうしたら今までニコニコ微笑んでいたカズが急に険しい顔になって

「おい!ゾノ!!」

って前園を呼び止めたんだ。 びっくりして振り返る前園にカズは

「おぇ、プロだろ?」

って語りかけたんだ。
そうしたら、前園、こっちへ戻ってきてサインしてくれたよ。
そん時のカズ、おしっこちびるくらい格好良かったよ。

48  
   
    後輩とカズ〜その4(森本)
森本ノーゴールもカズとの「22歳差対決」実現

何もできない。何もさせてもらえない。森本がプロの“壁”にぶち当たった。
シュートも意表を突いた前半1分の1本のみ。後半9分に無念の途中交代となったが、
大切な“宝物”を手に入れることはできた。

「(カズさんのところで)ボールがしっかり止まる。サッカーのすべてにおける技術を上げて点を決められるようにしたいです」

憧れの神戸・カズとの初対決。胸が躍った。
98年フランスW杯のアジア予選・日本−ウズベキスタン戦で4得点を決めた日本のエースの勇姿は、
当時小学3年生の少年の脳裏に強烈な印象として焼きついた。神
戸戦を翌日に控えた13日の練習後には「偉大な人です」と目を輝かせていた。

視線は自然とカズを追う。ボールを確実にキープして味方にパスを送る。
献身的なプレーでチャンスを作り続ける姿に目を奪われた。
J最年少得点記録(17歳7カ月1日)更新はまたお預けとなったが、一生忘れられない一戦だ。
15歳で単身ブラジルへ渡った過去を持つカズは

「(森本に)前を向かせて、体とスピードがあるんでその前に潰しにいってる。経験を積みながらやってほしい」

と22歳年下の超新星にエールを送った。

49
    後輩とカズ〜その5(松井)
U−21松井、“カズ魂”で歴史作る!

今大会最初のヤマ場となった1日のバーレーン戦で1ゴール2アシストの活躍。
しかし、5日のウズベキスタン戦で古傷の右足首をひねり、以来痛み止めが欠かせない。

尊敬する大先輩の声が何よりの薬だ。

U−21代表の発足となった8月22日の中国戦(上海)。
松井は左ひざ内側打撲のけがで遠征帯同をを断念。
国内でテレビ観戦を余儀なくされた。その直前、1本電話がかかってきた。

「オレは肉離れでもプレーしているのに、ひざ痛めたくらいで休むな!」

声の主はカズ。00年まで京都在籍時には寮の部屋は隣同士。
温泉にも何度も連れていってもらった“師匠”のゲキが耳に響いた。
「そういうところも見習わなきゃいけませんね…」。
山本監督からけがの状態を聞かれても「いけます!」の即答。

日の丸を着られるなら、はってでも出る。
A代表92試合56得点の男のプライドを受け継いだ。



    KING KAZU 逸話コピペ

                          

もんじゃ屋

キングカズは神だと思っている。

7年ほど前の正月休みに両親と静岡市のカズ実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。 両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなりキングカズが玄関から入ってきた。もんじゃ焼き屋に似合わないイタリアンないでたちで。

カズが「俺いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、 店内にいた高校生集団が「カズさん!」「カズさんかっけー!」などと騒ぎ出し、カズが戻ってきてくれて即席サイン会になった。 店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。 高校生達がカズの母校静岡学園のサッカー部だとわかったカズは いい笑顔で会話を交わしていた。 そしてカズは「またな〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親はカズの気さくさとかっこよさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。


大黒

「カズさんは生きている!」昨夜コンフェデ杯ブラジル戦でゴールを決めた大黒は胸を張った。

「僕の後ろにはいつもカズさんがいてクロいけー!ここでシュートだ!ってアドバイスしてくれるんだ…ほらね?」と大黒はユニフォームをぬいで中に着込んだTシャツの背中を見せてくれた。そこには汗でにじんだカズのサインがあった。

「これはカズさんがキングって呼ばれていた時に貰ったサインなんだ…いや、僕の中ではいつまでもカズさんがキングなんだけどね…」

そう言って笑った大黒の笑顔は間違いなくキングの笑顔であった。


サインその1

カズが、読売ヴェルディ時代に、甥っ子連れてサッカー場行った時の事。

カズは当時、絶大な人気だった(その試合では2得点ゴール)。 あれだけ人気なんだからきっと天狗になって調子こんだヤローなんだろうな。と思っていた。 試合が終わり、甥っ子が、どうしてもカズのサイン欲しいと、言うこと聞かず、 近くに居たヴェルディファンに「どうしたらもらえますか?」と聞いたらチームバスで来ていたら、 それに乗り込む時にもらえるかもしれませんよと教えてもらい、そこに連れて行ってもらった。

するとカズが現れた。前の方にいた甥っ子と自分は、周りの黄色い声に、圧倒されてたじろいでいた。 そして甥っ子は、怖くなって色紙とサインペンを持ちながら泣いていた。

そしてカズが、前を通り過ぎようとしていた。 勇気を振り絞って甥っ子が、色紙とサインペンを一生懸命差し出すも、 近くに居た、 ギャルっぽい女の子が甥っ子を押しのけて、サインをもらおうとしたその時、

「小さい子供いるのが見えないのか?」

と女の子に言い放ち自分の甥っ子の頭をなでて、 満面の笑顔で「大きいサインあげるから泣かないで」と、色紙いっぱいにサインしてくれた。

そしてさっきの女の子がサインもらおうと、カズに差し出すも、 カズは無視。 バスに乗り込んでいったまさにKINGこそ漢。私は、それ以来熱狂的なカズ崇拝者です。

その後甥っ子は中学生になり、サッカー部に入部 。背番号11FWとして、活躍している。


サインその2

俺が小学生の頃、どうしても武田のサインが欲しくて、等々力競技場で色紙とマジックを持って、選手の出待ちをしていた。武田が出てきて俺は「武田選手サインおねがいします」と叫んだがササッと車に乗ってしまった。

がっくりしてると、カズが俺に「僕のサインでもいいかな?」とニッコリしながら声をかけてくれた。俺はびっくりしたが「もちろんです、お願いします!」と言うとスラスラとサインをしてくれた。その後「これからも武田選手とヴェルディの応援よろしくね」と声をかけてくれた。

あのカズの笑顔は、今でも忘れられない。

サインはすぐ捨てた。


サインその3

俺は代表合宿に参加するモリシとアキを激励しようと、選手達の到着を待ちわびていたんだ。 そうこうするうちに選手達を乗せたバスが駐車場に到着して、選手達がグラウンドへ向けて歩いてきたんだ。 そうこうするうちに、黒崎や前川なんかの今となっては地味な選手達(ファンの人、ゴメンねw)に混じって、 明らかにオーラが出てる選手が二人、こっちへ歩いてきたんだ。 それがカズと前園だった。二人で並んで歩いて来た。仲良かったんだろうな。

俺、ミーハーみたいに凄ぇって思ったよw
俺は目の前まで歩いて来たカズと前園に 「サイン頂けますか?」と訊ねたんだ。

するとカズはにっこり微笑んで 「もちろん」 と答えてくれた。

そうしたら前園は俺を無視してスタスタ歩いて行こうとしたんだ。 そうしたら今までニコニコ微笑んでいたカズが急に険しい顔になって「おい!ゾノ!!」 って前園を呼び止めたんだ。

びっくりして振り返る前園にカズは 「おめぇ、プロだろ?」 って語りかけたんだ。 そうしたら、前園、こっちへ戻ってきてサインしてくれたよ。

そん時のカズ、おしっこちびるくらい格好良かったよ。


2038年

2038年 ワールドカップフランス大会

日本の初戦は奇しくも40年前のフランス大会でも戦ったアルゼンチン 。試合前日、競技場の碧の芝、その真ん中に一人の老人が立っている。

時間は既に夜半過ぎ、当然立ち入りは禁止されている。 それに気がついた警備員が、あわててその老人の下に駆け寄る。

警「コラ、ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」
老人「申し訳ない。私は日本代表の監督だ。迷惑かけたね、今すぐ出て行くよ。」

警「あ、監督さんでしたか、いったいなぜこんなところに?」
老人「イヤ、ちょっと忘れ物を取りにね」

警「忘れ物?それならばスタッフにすぐ探させます。いったい何をお忘れに?」
老人「いいんだ、もう見つけたから」

そう言って老人は去っていった。右手を左胸に当て不敵な笑みを浮かべながら

キングカズ・゚・(つД`)・゚・


エンジン停止

去年の暮れぐらいなんだけど、郊外で車故障して、立ち往生してたんだよ。 俺、全然車とか詳しくないんで、ボンネット開けて中見ててもなにが悪いのかさっぱり意味不明 。 で、あたりも暗くなってきてたし車通りも全然ないところでヤベー、とか思ってたら 俺の車 の後ろに一台の車が停車した。
 
その車から降りてきた男を見て、俺は息を飲んだ。 それは見間違うはずも無い、日本代表の、あのカズ選手だった。「なぜこんな田舎にベージュの スーツで!?」と思うまもなく、カズは 「どうしたの〜?」ときさくに俺に声をかけつつ上着を脱ぐと、ボンネットをのぞきこみ、 そし て、いろいろエンジンのまわりをごそごそやりだした。 高そうな白いシャツの袖が、どんどん汚れていく・・・

結果、俺の車は見事エンジンスタ ートに成功。 カズは「車は普段から可愛がってやらないと、すぐ壊れるよ。じゃあな!」 と言うと、颯爽と自分の車に乗り込み去っていった。

そしてついに今日、カズが日本代表から外れた。それでも俺は一生、あの日のカズを忘れない。


同じ数だけ

カズは里帰りするたびに、実家の近所の老夫婦がやっ てる紳士服店でスーツを仕立ててるらしい。 どんなイタリア製のスーツよりもいい着心地だとか。

子供のころよく、老夫婦に飴玉をもらっていたカズいわく、「もらった飴玉と同じだけの数、同じだけの色のスーツを仕立てるつもり。俺がサッカーを続ける限りね。」
 

ファンレターその1

昔弟とファンレター書いたとき、弟には「夢諦めずにサッカー選手になれ」って返事がきた。

ああみんな同じようなこと書いてんだろな、って思ったら、俺のには「好きな子にアタックしろよ、ウジウジしても何も始まらないぞ」って書いてあった。

ちゃんとファンレター読んでくれてたんだって嬉しかった。


ファンレターその2

今から6年前、僕が国体の強化選手に選ばれていて、もちろん将来はプロサッカー選手にと思っていた時、練習中に大腿骨窩と大転子の骨折によりもうサッカーは将来できないと医師に言われ落ち込んでいた。

2〜3ヶ月後に手紙がきた。カズさんからだった。部活の顧問がたのんだらしい。

「君はサッカーができなくなってしまったけど、プレーする事だけがサッカーじゃないんだよ。応援する事はフィールドに立っていると同じ事なんだ。サッカーは選手と応援があってサッカーと言えるんだ。サッカーを嫌いにならないでほしい、そして愛してほしい。 三浦知良」


カズのボール

ブラジルのサッカー選手を夢見る孤児たちを育てる団体に、カズがサッカーボールを送ったことがあった。それも、200個ものボールを。子供たちは、とても喜んだ。

しばらくして、やはりJリーグが同団体にボールを寄付することになった。エージェントが現地へ赴き、少年たちにボールを渡す。少年たちはやはり喜んだが、渡されたアディダスのボールを見て「アディダスではなくて、メーカーは『カズ』が良かった。」「『カズ』のボールはとても使いやすかった」と口々に言う。

Jリーグのエージェントは首をひねった。カズ?そんなメーカーがあっただろうか。「これだ」と、手渡されたボロボロのボールを見てエージェントは驚いた。すでにかすれてしまっているものの、ボールにははっきりとサインペンで

「夢をあきらめるな カズ」

と、現地の言葉で記した跡があった。200個ものボール全てにカズは自筆のメッセージとサインを入れ、それを子供たちは「カズ」というメーカーのボールであると思い込んでいたのだ。


「2010年、それじゃあね。」

元日本代表FWの三浦知良(39)=横浜C=は15日、横浜市内でチーム練習に参加。14日の仙台戦に出場したため約40分間と軽めの調整をしたカズは「日本の力をもってすれば勝つチャンスは十分にある」と予想。

「サッカーはスポーツ。全力を尽くせば、日の丸をつけてもクラブでもやることは変わらない。選手はエンジョイかつ勝ってもらいたい」

今回選出された23人に向け、香水のにおいを漂わせ期待を寄せた。

現役である以上代表を念頭に置くカズの目標は43歳になる南アW杯。

「2010年、それじゃあね」と報道陣に向け笑顔で話したキングの挑戦はまだまだ続く。
 

もう1回だけ、1回だけでいい…。

「よく励ましの言葉とかエールとかっていわれるんですけど、僕の方が皆さんの言葉や励ましから、勇気を貰ったりしているんです。僕からのエールと言うよりも本当にみんなと頑張っていきたいなとおもっているんですけどね。 同世代の人も含めてみんな頑張って目標に向かって進んで行きましょうってことですかね。」

「練習も含めて試合全てが、一つ一つに想いを込められる。やっぱりこれは年齢でしょうね…。もう確実に先は短くなってきている…。昔も絶対に一つ一つに対して、プライドを持ってきてやってきたつもりなんですけど、今の思い入れとは全然…サッカーを愛する気持ちは全然変わりました。」

「ジーコもう1回だけ呼んでくれないかな…1回だけでいい… 一生懸命やればいいよ…。」


カズのワールドカップ優勝予想

「ワールドカップで優勝するのはどこの国ですか?」

「サッカーを一番愛している国が優勝するよ」

 
カルチョの国で

94年9月4日ミラノのサン・シーロ・スタジアムでのセリエA開幕戦。相手は3連覇を成し遂げ、4連覇を目指す王者ACミラン。カズのイタリアデビューである。しかし、それが一瞬にして悪夢に変わるとは誰も予想していなかった。前半28分、セリエAを代表するDFのバレージと激しく接触。前半は気合で乗り切ろうとするが、もはや目も腫れて塞がっていて満足に物が見えてない状態だった。

前半終了後すぐに近くの病院へと足を運んだ。鼻骨骨折…全治2ヶ月…。恰幅のいいイタリア人の医者は笑顔でこう言った。「いいかい、ジャポネーゼ…。君の長いサッカー人生を考えれば、これはちょっとの休息だと思えばいいんだよ。」カズは医者の顔をまっすぐに見据えながら、流暢なイタリア語で答えた。

先生の言いたいことはすごくわかるよ。僕もこれまでもっと厳しいケガを克服してきた。でもね、僕には時間がないんだ。僕はここでは招かざるゲストなんだ。みんな周りは色眼鏡で僕を見ている。なんだ、こいつは?ってな具合でね。試合中や練習中に僕にボールが回ってこないこともある。でも、それは僕にとって些細なことなんだよ。僕は自分にボールが転がってきたら、それを決めるだけの自信があるからね。でも、僕が我慢できないのは、日本人がサッカーできないと思われることなんだ。僕は証明したい。僕の力だけじゃなくて、日本人の力を証明したい。結果を出す時間は10ヶ月しかない。その中の1ヶ月を失うというのはあまりにも大きいんだ。先生、別に鼻なんかなくてもいいんだ、目さえ見えればいいんだ僕がすぐにプレーできるって診断書書いてくれないかな…。

カズはそこまで言ってから下を向いた。恰幅のいいイタリア人の医者はこれほどまでの熱意を目の当たりにして言葉を失っていた。

そして、翌日チームに届けられた診断書には全治3週間と書かれていた。カズは今でもちょくちょくその病院の先生に挨拶に行くという。

偉人たちカズを評す1

ベッケンバウアー 「カズがリベロをやっていたら、私はサッカーの歴史の片隅に追いやられていただろう。」
ジーコ 「私は白いペレと呼ばれたが、カズは日本のペレだ。」
プラティニ 「カズがチームメイトだったら、私は自らシュートを撃つことをしなかっただろう。」
ヨハンクライフ 「カズを見て、私のトータルフットボールの理念が崩れそうになったことが一度ある。」
マラドーナ 「俺がサッカーの神様? カズを見てから言ってくれよ。」
ペレ 「EDは心の病気。」 


偉人たちカズを評す2

カントナ「キングと言われるのはおこがましい」
ゲルト・ミューラー「俺は爆撃機だったが、カズは神の裁きだ」
ミシェル・プラティニ「マラドーナがオレンジを使ってでしかできないことをカズはピンポン玉でできる」
カーン「彼が味方だった頃が懐かしい。今じゃ最強の敵なんだから」
ファンデルサール「カズがシュートを打った瞬間に既にあきらめてる自分がいる」
プジョル「(KAZUがスペインから去って)これでウチが優勝できる」
アンリ「何ゴール決めても世界一にはなれないかもしれない…」
コラー「俺より高く飛んだ男は彼だけさ」
ネスタ「カテナチオ?神にそんなものが通用するとでも?」
イブラヒモビッチ「あいつスゲェ!!」
ピタゴラス「万物の根元はカズである」
小泉首相「新たな改革を模索した場合、最初に名前が出てくる人物は三浦知良だ」
イチロー「ボクが現状に満足せず、努力するのはカズさんの影響から」
ビン・ラディン「我々はブッシュなど恐れていない。真に恐ろしいのは日本の英雄であるカズだ」
ジャイアン「俺のものはカズのもの、お前のものもカズのもの」
ミルコ「私のハイキックをもってしても、フェイントでかわされてしまうだろう」
大沢親分「喝だなこりゃぁ!!これほどの選手を選ばねぇサッカー協会に喝だ!」
綾波レイ「わたしが死んでも、キングがいるもの」
三沢光晴「カズだけはガチ」
今川氏真「まろはカズに蹴鞠を習ったでおじゃる」
あびる優「カズのスパイクやユニフォームを盗もうとしたけど、罪悪感があってやめた」
細木数子「アンタたちさぁ、どうすれば地獄行かずに済むか教えたげる。……カズを信じなさい」
板垣退助「板垣死すともキングは死なず」
尾崎豊「カズが担任だったら、窓ガラスを割ったりバイクを盗んだり、絶対しない」
曹操孟徳「この世で真の英雄と呼べるのは余と三浦知良だけだ」
王貞治「世界一?カズがいるよ」
山田洋次「寅さんの代役はカズだね。カズはつらいよ、で行くよ」
橋本弁護士「カズさんが悪いことしても無罪だと思いますよ」
プーチン「カズはロシアへ連れて行きたい人物のひとりだ」
金正日「カズがいるから核兵器を打ち込めないんだ」
福沢諭吉「天は、人の上にキングカズを作った」

 

代表ユニフォーム

カズは毎回、代表に召集されるたびに「これが最後かもしれないから」と、代表ユニフォームをもらって帰っていた。そんなカズに、用具係の人が「(カズさんならわざわざ持って帰らなくても)次に来た時、渡しますよ」と軽い気持ちで言った時、キングは即座に言い返した。

キング「……次の保証なんか、オレたちにはないんだ!」

今の代表ユニフォームをキングがもらって帰る日がくることを願っている。

 

ばあちゃんのすごろく

カズは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。いつしかカズはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。それをカズはばあちゃんに見せては、

「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み〜」

カズのばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打っていた。カズはそれが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。やがてカズにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ家の事情が解決され、カズは家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、「おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでいた。

十数年前、カズのばあちゃんは死んだ。89歳の大往生だった。遺品を整理していた母からカズは、「あんたに」と一冊のノートをもらった。開いてみると、そこにはカズのばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか妖怪も混じっていたり。カズは「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。カズは最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に

「知良くんがワールドカップに行けますように」
カズは人前で初めて泣いた。


誰かを貶めるのではなく

カズはJリーグ開幕の頃、バカなマスコミが「野球は時代遅れ」と言ってた頃、「僕は野球好きですよ。」とテレビカメラの前でヴェルディの選手達とキャッチボールしてた。

  

実況:山本浩

実況 NHK:山本浩

彼ほど悔しい思いをしたサッカー選手がいたでしょうか
彼ほど非難の的になったサッカー選手がいたでしょうか

自分の力ではどうにもならない悲しさ、
異国の地で孤独に押しつぶされそうになった夜
彼はそれらを全て前に進むためのエネルギーにしてきました。

今、彼ほど日本中から愛されている男はいません。
そして、彼ほどサッカーを愛している男はいないでしょう。

彼は1人ではありません。
彼が胸の前で握りしめている拳の中には我々の魂が握られています。

キングの称号を持つ男が、今ピッチの中へ走り出していきました。

三浦知良、ワールドカップ、デビュー戦です。

 

持ってて良かったPSP

カズがオーストラリアに行くちょっと前、三宮の駅前広場のベンチに座るカズを見つけた。お、カズがいるよ…くらいの気持ちで、ちょっと近づいてみると、何やら携帯ゲーム機をやっている様子。そう、カズの手の中にあった携帯ゲーム機、それこそがPSP。そっと後ろから覗き込むと、カズの手の中のPSPの高精度液晶の中を、フルポリゴンのサッカー選手たちがところ狭しと走り回っている。自らボールを運ぶように体を右に、左に揺らしながら夢中になるカズ。(確か、ウイニングイレブンとかいうゲーム)

突如、ゴオオオォォル!という音声がPSPから響き渡る。キングは突如ぐったりすると、こうつぶやいた。

「すっげ…これ、まんまワールドカップの臨場感…」

そのカズの、キラキラ輝く瞳を見ながら、俺は気づいた。ああ、この人は少年の夢を持った大人なんだな、と。そして、そんな男の手にこそ(大人になれない子供向けのDSではなく)PSPのシックでスマートなボディが似合うんだな、と。

持ってて良かったPSP。

 

出会い系で出会ったオジサン

出会い系で知り合った10歳以上年上のオジサンの家へ。

そしたら「これ着て責めて欲しい」と言われて、ジャージというか、サッカー選手が着てるような青くて日の丸のついたユニフォームを着せられた。

向こうは全裸。

まあこんなのもたまにはいいか、と愛撫してたら、オジサンが喘ぎ声の中、喋りだした。

「お、おにいちゃん…お、おかえりなさい…だ、代表だった?ねえ代表だった??」

…オレは突然の、しかも想定の範囲を超えたセリフにポカーンとしてしまった。オジサンは素に戻って、「…返事して欲しい」と恥ずかしそうにオレに言った。

プレー再開。
耳とかをなめつつ体中をさわさわと触る

「お、おにいちゃん、代表だった?」
「ああ、代表だったよ」
「あぁぁぁあぁすごいいいぃいぃ!…だ、誰が…ハァハァ誰が選ばれたの?」

乳首を舌でやさしく舐めながらオレは答えた
「…高原とか、…小笠原がいっぱい選ばれたよ」

セリフを聞き、オジサンはびくんびくんと身体をひきつらせた
「はっ!はぁぁぁあんっ!カ、カズは?カズは、え、選ばれたの??」

チンコをしごく
「ああ。キングカズが選ばれたよ。今年一番のサプライズだ。」
「代表っ!!カズぅぅ!!おにいちゃんかっこいいいいぃぃぃいぃくううううう!」

実話です…。きっとサッカー選手との幼い頃の体験というか、淡い恋心とかがあったんだろうなあ、といろんなことを考えさせられた一夜でした。


日本は世界を相手に戦えますか?

カズ「日本も世界なんですよ。」

 

サッカーの話

Jリーグが始まった年だから、もう何年前になるんだろう。名古屋の栄の焼き肉屋へ家族で行ったときのこと。座敷席にカズさんと北沢選手と、数人の女の子がいた。多分遠征中だったのだろう。

当時高校生の俺の小学校三年の弟はサッカーをやっていた。 せっかくだからと、尻込みする弟をカズさんの前へ連れて行き、「お楽しみのところすいませんが」弟がサッカーやっているんで、何か言葉をいただけると励みになるんですが。と厚かましく、言った。

カズさんは、「お、サッカー少年か」と楽しそうに言いながら、座敷席の奥からわざわざ立ってこちらへ来てしゃがみ込み、弟と目線を同じ高さにした。

「サッカー少年は勉強がよくできるか?」と、いきなりキングは弟に聞いた。

弟の成績はそれなりによい。弟はうん、と答えた。

するとキングは「頭のいいやつは、トップ下MFがあってる」と、カリオカ、ラモスの名前を挙げた。さらに何かを言おうとするキングに、連れの女の子が、ねえまだーと露骨にいやそうな顔をした。

カズは、振り返って一言言った。表情は向こう向きだったから、わからなかったが、多分厳しい顔をしていたのだろう。

「うるさい。俺たちは今サッカーの話をしているんだ」

 

猫になりたい

ずいぶん前に読んだ雑誌からの孫引きなので、細かな部分には間違いがあるかもしれないが、とにかくサッカーの三浦知良選手が、どこかの幼稚園を訪れた。リフティングやカズダンスを披露し、喝采を浴びたあと歓談の時間となり、三浦選手は園児たちに、「みんな将来は何になりたい?」と尋ねた。

園児たちは当然「Jリーグ入りたい!」「セリエA行きたい!」などと口々に叫び、三浦選手はウンウンとうなづいている。そのうち、大工さんになりたい、という声が上がった。ケーキ屋さん、お医者さん、という声も出た。

三浦選手はやはりうなづき、「どれも大事な仕事だね。大変だけど夢を捨てちゃいけないよ」

すると、それまで黙っていたひとりの園児が手をあげていった。

「ぼく、猫になりたい」

幼稚園の先生や親たちは息をのんだ。三浦選手は大きくうなづき、「猫になる、っていうのも大切な夢だよね。いいかい、ぜったいに、その夢をあきらめちゃいけないよ」

このエピソードを知って以来、三浦知良とは、サッカー選手というより、偉大な人間の足下にボールが転がってきたので、偉大な人間らしい態度でひたすらそのボールを追いつづけている、といったような人間なのだと周囲に触れ回ってきた。

その園児が、後の猫ひろしである

 

急募!!

*************【 急 募!! 】*************
仕事内容 :サッカー日本代表 FW (主に点を取るお仕事、軽作業です)
期        間 :2006年6月23日〜2010W杯終了まで
勤  務  地 :世界各地・南アフリカ(採用決定後、現地へ直行していただきます)
給       与 :応談(結果に応じてボーナスあり)
採用条件 :日本国籍を持つ、国内または国外プロリーグ在籍者
       文句を言わない方
          Jリーグで100ゴール以上・代表で50ゴール以上挙げてる方
       やる気のある方
       代表に魂を注入できる方
       君が代を熱唱できる方
       ペナルティエリアで果敢に勝負できる方
       KINGの称号を持っている方
       ブラジルのプロリーグ在籍経験者、ポルトガル語堪能な方は特に優遇
       ※W杯未経験者大歓迎!期日が迫ってますので大至急ご応募を!
       尚、エースナンバー11番のユニフォームをご用意しております。
申込み先 :日本サッカー協会(担当:川淵)

 

後悔したくないから

2002年W杯の日本vsベルギー戦の直前まで、カズは一人黙々とグラウンドで練習を続けてコンディションを整えていた。

ある記者がカズにその理由を尋ねると、カズは「試合直前だけど試合が始まるまでは何が起こるかわからないよね。もしかしたら集団食中毒が起こるかもしれないし、代表に選ばれたFWが怪我するかもしれない。そして、もしかしたら誰かの代わりに自分が選ばれるかもしれない。もし、そうなって自分が日本代表に選ばれた時、恥ずかしいコンディションでピッチの上に立つなんてことは、自分には絶対にできない。日本代表というのはそういうものじゃないんだ。後悔は絶対に残したくないんだ。」と答えた。

 

変わらぬ想い

「サッカーボールはボクの命だ!(14歳)」
「プロのサッカー選手になる!ブラジルで!(15歳)
「将来は全日本。日本のためにサッカーをしていきたいと思います(18歳)」
「サッカーでスーパースターになりますから(19歳)」
「日本をワールドカップに連れて行く(23歳)」
「国立を満員にしてみせる(23歳)」
「1億円プレイヤーになってやる!(24歳)」
「足に魂込めました(26歳)」
「バモラ!(27歳)」
「W杯に行くために(イタリアから)何かをつかんで帰って来たい(27歳)」
「日本代表としての誇り、魂は向こうに置いて来た(32歳)」
「自分の中のチャンピオンベルトを取り戻したい(33歳)」
「まだまだこれからだよ(35歳)」
「サッカー以外の全ての面でもニックネーム(KING)に相応しくありたい(36歳)」
「ドイツでお会いしましょう(38歳)」
「サッカーは世界中でやってるんだぜ(38歳)」
「大好きだ神戸、ありがとう!(38歳)」
「今度の舞台は関東だな(38歳)」
「全盛期?これからだよ(38歳)」
「30は小僧だね(38歳)」
「(現役を)還暦までやりましょう(38歳)」
「2010年、それじゃあね(39歳)」

 

ドイツ・ワールドカップ、日本-ブラジル戦

横浜FCのFWカズ(三浦知良=39)は、第2の故郷でもあるブラジルの「本気」を予想した。「ジーコ相手に、わざと負けるんじゃないかという意見は必ず出る。コンフェデ杯ぐらいなら、負けてもいいという論調かもしれない。でも、W杯は別。ブラジル人にとってW杯は特別だよ。W杯での負けは、どんな理由でも絶対に許さないのがブラジルなんだ」と話した。

ブラジル戦は厳しい試合になる。

「でも、可能性はあるよ。試合は0-0から始まるんだから」と日本代表にエールを送った。

 

Futebol japones

中学校卒業の年、カズはクラスで進路志望を書かされたとき、第一志望の高校の名前を書く欄に「ブラジル」と記入した。

カズはサンパウロにある「ジュペントス」というクラブの寮で、5人の少年達と小さな汚い部屋の2段ベットで寝る生活が始まった。免疫の無いカズの体にはノミとダニがいっぱいたかって、はじめの頃は痒さでまともに睡眠すら取れなかった。

苦労はフィールドでも同じだった。チームメイトは誰も彼にパスをしようとはしなかった。偶然ボールを自分のものにしてドリブル突破を試みても、すぐに奪い取られた。

スタンドの声がカズの耳に届いた。「Futebol japones! 」

ブラジルには大きな日本人社会が築かれていた。彼らは農場を開拓し、勤勉に働き、多くの人がビジネスでも成功し、リトル・トーキョーという名で知られるサンパウロの高級住宅地で暮らすようになっていた。しかし日系人たちはサッカーに対しては全く影響をおよぼさなかった。“Futebol japones”という言葉は「日本人にしか出来ないくらい下手糞なプレー」という意味で用いられていた。チームメイトたちも「Futebol japones! 」と彼をあざけるようになった。

それが限界だった。カズはごく稀にしか試合に起用されなくなり、練習試合にすら出られなくなった。たまに試合に起用されても、最初の試合と同じような扱いを受け、同じような野次を飛ばされた。

「ヘイ、ジャポネス!リトル・トーキョーに帰って天ぷらでも揚げてろ!」
「そんな細い目でボールが見えるのか?」

それでもカズは、陽が沈み暗くなったあとまで一人で居残り練習を続け、何時間もシュートやドリブルの練習を繰り返し、1日に何百回もの筋トレを、毎日続けた。

チームメイトとのコミュニケーションを改善するためにリトル・トーキョーにある学校でポルトガル語の授業を受け、夜も勉強した。小さな傾いた寝台に横になり、辞書から単語を見つけ出して小さな声で発音の練習を繰り返し、本を手にしたまま眠りにつくという日々がつづいた。

それでも目に見える進歩はなかった。彼は孤独だった。彼は情熱を失い始めた。ブラジルでの生活は2年3ヶ月経過した。彼はジュベントスから「キンゼ・デ・ジャウー」というサンパウロから300kmも離れた小さな町のチームに移った。が、そこでも大きな活躍はなかった。

希望を失った彼は、ブラジルへ渡って以来はじめて母親に電話をかけた。そして「もうこれ以上は耐えられない、家へ帰る」 と伝えた。母親は、サッカーショップを経営し少年サッカーチームの運営にも携わっていた叔父に、このことを伝えた。叔父はカズに電話した。「何を寝ぼけたことを言っているんだ!帰ってくるな!わかったな!」

カズはバスに乗り、サンパウロで暮らしていた父親に会いに行った。同情して欲しかったし、自分の気持ちを理解して欲しかった。 しかし父親は叫んだ、「日本に帰るだと?わかった。お前がそんなに弱虫だとは知らなかった。だったら、日本へ帰れ!」そしてカズの右の頬を殴りつけた。カズは初めて父親に殴られた。

「わかったよ。じゃあ、帰るよ」とカズは答えた。
「もう、それ以外にない」と思うしかなかった。

カズはブラジルを永遠に離れてしまう前に観光をしようと思った。そこでカズは、聖地マラカナン・スタジアムに足を運んだ。 スタジアムを見た後、リオの裏通りをぶらぶらと歩き、小さな公園のベンチに腰をおろした。目の前では20人くらいの子供達が 草サッカーに興じていた。12歳前後の少年達は汚くほころびたシャツを着ていた。靴を履いていない少年も半数近くいた。

そんななかに一人の少年がいた。 彼は片足しかなく、それでもピョンピョン跳ねながらボールの後を追いかけ、プレーに参加しようとしていた。

そのときカズは胸の奥から熱いものが湧き出してくるのを感じた。

「俺はなんと恵まれているんだろう…!」                                            

そう思ったあと、自分自身に腹が立ってきた。「それなのに、俺は…」

そのとき彼は「もう一度ブラジルに挑戦しよう」と心に決めたのだった。



KING KAZU 公式ページ
                                               



.オンライカジノで遊ぶならココ
無料カウンター inserted by FC2 system